Employee Roundtable 社員座談会

「新販路」への挑戦。
困難が続く日々を乗り越えた、
部署を超えたチームワーク

新しい事業をスタートさせるとき、そこには苦労と挫折が伴うのが定石。
困難が続くハードな日々であったとしても、チャレンジし続けた彼らが
今のデリア食品の宅配事業の礎を作ったと言えます。
そんな大変な日々を乗り越えられたポイントは何だったのでしょうか。
当時を振り返りつつ、新しいことを始めるときの苦労と心得を語り合います。

座談会メンバー

  • T.S.

    デリア食品株式会社
    営業本部
    営業企画部 新規市場推進課

  • F.K.

    デリア食品株式会社
    品質本部
    品質保証部

  • C.S.

    株式会社旬菜デリ
    昭島事業所
    生産三課

  • M.N.

    株式会社旬菜デリ
    昭島事業所
    商品開発部 開発課

従来の枠を超えた挑戦!

――もともとデリア食品の中で、宅配事業が立ち上がった経緯を聞かせてください。

T.S.(営業担当)宅配事業がスタートしたのは2013年6月です。みんなが「思い出したくない」と言っていたのもまさにこの立ち上げ当初から1年間ぐらいのことだと思います(苦笑)。
というのも、旬菜デリはもともとスーパーマーケットの売り場に並ぶようなお惣菜のパックを製造していたわけです。しかし、宅配で製造するミールキットというのは、スーパーマーケットのお惣菜を製造するタイムスケジュールとはまるで違います。スーパーマーケットのお惣菜はメニューが週替わりで変わるということはありませんが、それが普通にあるうえに、1回作ったものは次の週にはもう販売できません。そういう経験はこれまでに一度もありませんでした。

M.N.(開発担当)そうなると、メニューの開発もそれまでになかった工夫が必要になりました。最終的な調理はお客様がするため、お客様が使いやすい原料を探すことから始めたり、ご自宅でお客様が調理することも考えながらレシピを作ることも初めてのことでした。スーパーマーケットでは出来上がった商品を販売していたのでレシピの必要はありません。ミールキットでは調理工程までを考えて、わかりやすい文章にするというところも含め、初めてのことが多くとても大変な日々でした。

C.S.(生産担当)生産としても、毎週違う商品を作るのは本当に大変で。一度作ったメニューが次に来るのは早ければ1か月後、あまりないものだと2~3か月後になります。今までに無い生産体制でした。
さらに、誌面のどのあたりに載るかによっても注文の数が増減する。注文が思ったほど来ないこともあり、あらゆることの予測が立てづらく大変でした。

F.K.(品質担当)当時わたしは旬菜デリの品質責任者でした。工場側の立場でいうと、1週間ごとにアイテムがかわるのでイチからの作業になります。今までならば、1日目より2日目、2日目より3日目という感じでどんどんスキルがあがっていくし、それによって得られた経験などによって関わる人数を調整してちょうどよい人数にし、9人を8人にと、どんどん改善が進みます。しかし、慣れた頃に1週間が終わり、また新しいメニューになり、イチからのやり直しという状態になる。つまりスキルアップというのがなかなかできないわけですね。

――新しいことの立ち上げ、しかも、それまでの製造の概念を変えるようなものだから苦労が多かったということですね。

T.S.営業開発サイドだと、途中から始まった副菜付きのミールキット、これが本当に難しい商品でして……。週替わりどころか日替わりの内容になり、豚肉を月曜日に使うと翌日は豚肉以外のメニューで、魚メニューも必ず1回は入れましょうとか、いろいろな細かいルールがあり、それだけでも複雑でした。さらに、副菜付きミールキットということで組み合わせがものすごい数になるわけです。副菜には、私たちが日頃販売しているお惣菜を付けているのですが、メインに合う副菜との組み合わせがもう何万通りもあるので、もはやパズルのような感覚でした。

M.N.開発としても、副菜付きのミールキットは正直かなり大変でしたね……。効率だけではなく、食べているお客様のことを最優先に考えることが大切でした。

T.S.効率を求めたらミールキットは成立しない、というのがこの時に我々が学んだことだった気がします。

F.K.品質保証の立場でも大変なことはありました。メニューが何万の組み合わせがあるとするなら、材料はもっと幅広くなってしまう。さらに、ミールキットも2人前や3人前があり、タレの量も2人前なら50ml、3人前なら80mlと、それぞれ変えなければならない。しかし、その容量の違いがパッと見では分からず、ミスが起こりやすくなってしまうんです。当時を乗り越えてくれたC.S.さんには感謝しかないです。

T.S.あの当時は製造側ともしょっちゅう打合せをしていましたね。様々な面でコミュニケーションが必要でした。

C.S.当時を思い出すと、いろんなご迷惑を営業側や、もちろんその先のお客様にもかけてしまったなと・・・・。最初は目で見て確認していましたが、それでは複雑な製造の流れの中でミスがたびたび起きてしまった。とにかく、いろいろなことが「人間」のチェックの範囲ではミスが起こってしまうわけです。「それならシステムを導入しなくては」という動きが生まれ、システム導入につながったと思っています。

機械化や新原料の探求など
この経験で得られたもの

――今のC.S.さんの話のように、この大変なミールキットを乗り越えたからこそ、得られたものは他にありますか?

T.S.それこそミールキットを始めたことで、旬菜デリの昭島事業所はいちばん機械化が進んでいます。
C.S.さんが言ったように、ミールキットの製造でミスをしないようにするには人間では限界があるということがわかりました。ミールキットの売上もかなり大きくなったことで、投資に値するという判断になり、盛りつけなどにも機械をどんどん入れて行こうという動きになりました。そのような経緯で、旬菜デリ昭島事業所は効率がはかれている工場になったと思います。

M.N.私は商品開発担当として、先ほども言ったようにそれまで使っていた原料だけでなく、新たな原料を探すという経験を積むことができました。宅配で使う原料を宅配以外の商品でも使って、汎用性が広がりました。
人気があったのはビビンバ丼です。基本的にミールキットは調理時間が10~15分でできるものが求められます。ビビンバ丼は、盛りつけるだけで5分もあれば完成するという時短で手軽に調理ができる点もよかったのだと感じます。そして、自社で味作りができることも差別化を図るうえでよかった点かと。取引先から味の改良を求められたときもすぐに対応することができます。既製品に頼るのではなく、タレの量も変えられるなど、それまで会社が構築してきたシステムがあったからこそ、細かい部分まで配慮したメニューをつくることができたのだと思います。

F.K.私の立場で言うと、目指すところと現実のギャップを埋めるにはどうすればよいのかということを経験として学べたことが大きかったと思っています。それによって事故防止システムというものも得ることができました。

T.S.2013年に始まって、2014年に副菜付きミールキットが始まったのですが、その1年でもグッと売り上げが伸びていました。もちろん、いろいろなトラブルが起きたり、欠品が許されないというプレッシャーもあったりしましたが、売り上げとして数値が見える形であったので、営業として大きなやりがいがありましたね。
10年経った今だから聞きたいんですが、生産側はどういう目標をもっていましたか?

C.S.生産側としては、同じような数量で日々安定して作れるというのが理想だし目標ではありました。決まった数が大体見えて、同じように工場を動かしていけるとよいのですが、ミールキットはそれが難しかったですね。誌面のどこに載るかによっても注文数が変わるという特徴もあり、予測も非常に難しかった。生産現場の人数調整も同様で、人数を増やしておいたけど、注文数がさほどなく、実際はそんなに必要なかったということがあったり。とにかく波があることは生産としてやりにくい部分がありましたね。

――50周年を迎えるデリア食品ですが、今後も時代のニーズや変化に合わせて、新しいチャレンジをしていくと思います。そういったとき、何がいちばん大事でしょうか?

T.S.まずはやってみるということですね。この間、東京支店から異動をする時にメンバーにも伝えたのですが、最初のボタンを押すのはだいたい営業です。営業がこういうことをやりたいとなった時にも、営業ひとりではできません。いろいろな関連部署があり、助けてもらいつつ協力しながら進めて行く。新しいことをやるには、まわりの人にきちんと説明をして理解をしてもらい、味方を増やすということが大事なんだと思います。

M.N.このミールキットの宅配事業は今や全国に広がっていて、そういう意味では最初の立ち上げの段階で関われたというのは、良かったなと。当時の良かったことはあんまり思い出せないぐらい大変ではありましたけど(苦笑)。私が今後、新しいチャレンジに携わることがあるなら、そのときに大事にしたいのは「仕事だとしても楽しいと思える気持ちを持つ」ということです。デリコメールの事業にも少し関わったのですが、そのときは新しいことをやる中で大変なことがありながらも楽しいと感じられたので。そういうポジティブな気持ちは大事なのかなと思いました。

C.S.思うのは一人でやらずにチームとしてみんなで考えてやっていくというところ。この宅配事業もそうやって進めて行けたことで今があります。各課がバラバラに動くのではなく、みなの意見を聞きつつ協議しながら考えて進めて行けたということがポイントだったように感じます。

F.K.私はひと言でいうなら「当時、逃げなくて本当に良かったな」ということです。正直な話、逃げ出したくなることもありました。それでも、そのときに諦めて放り出さずに続けてきて良かったと今は感じています。新しいことをやるというのはそのぐらいに大変なことだと思いますが、今、振り返って強くそう思っています。

その他の座談会

BACK TO TOP